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東京地方裁判所 昭和51年(刑わ)3485号 判決

本籍《省略》

住居《省略》

会社役員 大刀川恒夫

昭和一二年二月一二日生

右の者に対する外国為替及び外国貿易管理法違反、強要各被告事件につき、当裁判所は、検察官小林幹男、同清水勇男出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中、強要の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、本邦内に住所を有する居住者であり、昭和四一年三月ころから同じく居住者であり、かつ、ロッキード・エアクラフト・コーポレイション(以下「ロッキード社」という。)からマーケッティング・コンサルタント契約に基づく顧問料等(以下「コンサルタント報酬」という。)を受領していた相被告人児玉譽士夫(以下「児玉」という。)の秘書を勤めていたものであるが、右児玉と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、

第一  ロッキード社の社内事情から、かねて同社と児玉の間で締結していた前記契約を一旦解約のうえ、同社と児玉の身代りとなるべき法人との間の同旨の契約に切り替える必要を生じたことに伴い、ジョン・ウイリアム・クラッター(以下「クラッター」という。)を介して、英領香港で休眠中の香港法人ブラウンリー・エンタプライズ・リミテッド(以下「ブラウンリー社」という。)を買収することを企て、

一  昭和五〇年一〇月末日ころ、東京都内において、別紙一覧表記載のとおり、譲渡人グレグソン・リミテッド外二社との間に、右三社が所有する前記ブラウンリー社の英領香港にある株式合計三〇〇〇株(一株一香港ドル)を代金合計約三〇万円で買受け、もってそれぞれ外国にある証券について売買をした

二  前同日ころ前同所において、別紙一覧表記載のとおり、右グレグソン・リミテッド外二社との間に、前記株式三〇〇〇株の株券を右三社に各一〇〇〇株ずつ、被告人及び児玉のために香港において保管させる契約をし、もってそれぞれ証券の保管に関する取極の当事者となった

第二  昭和五一年一月二九日ころ、東京都千代田区内幸町一丁目一番一号帝国ホテル一六八三号室において、前記クラッターから、非居住者である前記ブラウンリー社のためにする居住者児玉に対する支払として、米貨二七万五〇〇〇ドル相当の日本円八〇〇〇万円余を受領した

ものである。

(証拠の標目)

(かっこ内の甲、乙番号は、それぞれ被告人及び児玉両名に対する外国為替及び外国貿易管理法違反等被告事件における検察官請求証拠目録甲の一、乙の請求番号を、弁番号は同じく弁護人請求証拠目録弁一の請求番号を示す。符番号は昭和五二年押第一四五六号の符号番号を、(謄)は謄本を、(抄)は抄本を示す。)

一  被告人の当公判廷における供述及び第三回公判調書中の供述部分

一  被告人の検察官に対する供述調書七通(乙27、59、60、61、68、69、70)

一  児玉の第三回公判調書中の供述部分

一  児玉の検察官に対する各供述調書(乙35ないし58、63ないし67、71、72、73)

一  児玉の陳述書(弁190)

一  次の各証人の当公判廷における供述(かっこ内は公判回数)山邊力(17、18)、福田輝子(50)

一  次の者の検察官に対する各供述調書

奥戸足百(甲2)、高野美代子(甲3、93)、トシヨシ・オニ(甲6)、池畑満男(甲7)、望月章治(甲8)、徳田憲正(謄)(甲35)、植木忠夫(謄)(甲36、37)、笠間里正(謄)(甲38)、保世新宮(甲45、66)、福田太郎(旧甲112ないし136、273ないし276)

一  他事件公判調書中の証人保世新宮の供述部分(謄)(甲302)

一  アーチボルド・カール・コーチャンの各嘱託証人尋問調書第一巻ないし第七巻(ただし、第一巻については(謄)として、その余は(抄)として証拠書類記録第一九冊ないし第二五冊に編綴された部分。旧甲100ないし106)

一  クラッターの嘱託証人尋問調書第三巻ないし第七巻(ただし、それぞれ(抄)として証拠書類記録第二六冊ないし第三〇冊に編綴された部分。旧甲107ないし111)

一  トーマス・F・ケリーの証人尋問調書(写)(甲433)

一  クラッター作成のスペシャル・アカウントと題するメモ写(甲322)

一  (検察官堀田力作成の報告書添付の)「摘要」、メモ領収証写真(甲304として請求された非供述証拠)

一  次の者の作成にかかる各回答書

林勝美(甲95)、速水優(甲97、98)

一  次の者の作成にかかる各(捜査)報告書

検察事務官行田武司(甲1)、同吉川一生(甲17、27、92、94)、

同跡部敏夫(謄)(甲28)、同佐藤雄咲(甲434)、検察官清水勇男(甲418)、永井克昌(甲201)

一  次の各登記官作成にかかる各閉鎖登記簿謄本

鯉渕四郎(甲4)、遠藤昌(甲14)、斎藤政司(甲15)、高妻新(甲16)

一  次の各登記官作成にかかる各登記簿謄本

鯉渕四郎(甲5、13)、斎藤政司(甲18、19)

一  法務省入国管理局登録課作成にかかる外国人出入国記録調査書五通(甲20、21(謄)、22、23(謄)、24)

一  前同課作成にかかる日本人出帰国記録調査書(甲25)

一  押収してある次の証拠物

履歴書四通(符1)、「児玉機関概説書」と題する書面一通(符2)、政治団体設立届一通(符3)、ロッキード各社組織図二冊(符4)、感謝文付模型一個(符5)、設立証書写一枚(符202)、メモ写三枚(符203)、書簡写一枚(符204)、特別総会通知案写二枚(符205)、書簡写二枚(符206)、第一回取締役会議録写二枚(符207)、書簡写一枚(符208)、書簡写一枚(符209)、グレグソン社と大刀川恒夫間の名義株主契約書写一通(四枚)(符210)、ドレドソン社と仲憲太郎間の名義株主契約書写一通(四枚)(符211)、ハムサー社と高野美代子間の名義株主契約書写一通(四枚)(符212)、ヒロリー社と大刀川恒夫間の被指名経営者契約書写一通(二枚)(符213)、マンダリー社と仲憲太郎間の被指名経営者契約書写一通(二枚)(符214)、リードリー社と高野美代子間の被指名経営者契約書写一通(二枚)(符215)、書簡写一枚(符216)、書簡写一枚(符217)、ブラウンリー社とロッキード社間のマーケッティング・コンサルタント契約書写一通(一六枚)(符218)、ブラウンリー社とロッキード社間のマーケッティング・コンサルタント修正一号契約書写一通(四枚)(符219)、書簡写一枚(符220)、書簡写一枚(符221)、書簡写一枚(符222)、書簡写一枚(符223)、借方記入通知票写各一枚計三枚(符224ないし符226)、書簡写各一枚計二枚(符227、符228)、領収証写一枚(符229)、通信文写一枚(符230)、通信文写一枚(符231)、通信文写一枚(符232)、遵守の証明書写一枚(符233)、通信文写一枚(符234)、小切手申請書写一枚(符235)、小切手写(表・裏)一通(二枚)(符236)、送金通知状写一枚(符237)、遵守の証明書写一枚(符238)、通信文写一枚(符239)、メモ写一枚(符240)、通信文写一枚(符241)、小切手申請書写一枚(符242)、小切手写(表・裏)、一通(二枚)(符243)、送金通知状写一枚(符244)、遵守の証明書写一枚(符245)、通信文写一枚(符246)、通信文写一枚(符247)、メモ写一枚(符248)、通信文写一枚(符249)、小切手申請書写一枚(符250)、小切手写(表・裏)一通(二枚)(符251)、送金通知状写一枚(符252)

(弁護人の主張に対する判断)

一  判示第一の一、二の各事実について

1  前示ブラウンリー社株式の買受及びその保管に関する取極に至る事情については、既に前記「罪となるべき事実」中に概略摘示したところであるが、弁護人において、右各事実の存在自体を極力争っていることに鑑み、この間の経緯をやや詳しく吟味することとする。前記「証拠の標目」欄挙示の関係証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) ロッキード社においては、従前から、同社製品の販売等にかかる海外コンサルタントに対する現金による報酬等の支払が問題視されていたところ、昭和五〇年六、七月ころからは、取締役会、さらには会計監査委員会等による同社内外からの審査、調査が一段と厳しさを加え、事実上これが殆ど不可能な事態となり、爾後は、通常の業務過程における支払がそうであるように、法人を相手方とする小切手による支払のみが是認されることとなったため、そのころ、日本に対するL―一〇一一型ジェット旅客機トライスター等の売込みの総指揮者であった同社社長アーチボルド・カール・コーチャン(以下「コーチャン」という。)において、児玉に対するコンサルタント報酬等の授受の衝に当っていた前記クラッターに対し、右事態に即応して、児玉に対するコンサルタント報酬の支払方法を同社の改善された経理処理手続に適合したものに改めることを指示した。

(2) これを受けて、クラッターは、同年六月から七月にかけて、かねてから同人を補佐していたハーヴェイ・福田こと福田太郎(以下「福田」という。)とともに児玉宅に赴き、同人及び前年末ころから同席するようになっていた被告人の両名に対し、ロッキード社の社内事情から従来のような児玉個人に対するコンサルタント報酬の支払が不可能となったため、従前の児玉との間のマーケッティング・コンサルタント契約を解除し、コンサルタントとしての児玉の従前の地位を同人において新たに設立又は買収するなどして準備した会社に継承させることとし、コンサルタント報酬は爾今一旦右会社に対し米ドル建小切手で支払う形をとるが、同人としては、右会社を経由することにより、従前どおり日本円の現金でこれを受取ることができる旨説得したところ、同人としても、従来どおりクラッターらから日本円の現金を届けてもらえる点に変りがないのであれば、ロッキード社との中間に別会社を介在させることになっても別段支障はないものと判断し、自己の健康状態をも顧慮して、これを了承した。

(3) その際、児玉は、手元に右の用途に充てるべき適当な会社もないため、クラッターの方で外国で会社を設立あるいは既存の会社を買収する等の関係事務手続一切を処理してくれるよう希望したところ、同人において、あらかじめコーチャンから児玉がロッキード社側の申出を了解するようできるだけ新会社調達、準備の便宜を図ってやるように指示されていたこともあり、これを承諾した。

(4) クラッターは、かような用途のための会社としては、日本に近く、爾後の管理運営の至便及び税金等の関係からも、香港の法人を調達することが適当であると考え、自ら香港に赴き、同所のジョンソン・ストークス・アンド・マスター弁護士・公証人・商標及び特許代理人事務所(以下「ジョンソン事務所」という。)のロバート・S・N・ベイリー(以下「ベイリー」という。)らと相談した結果、同事務所が保有する休眠中の香港法人ブラウンリー社(香港会社令に基づき、昭和四九年一二月一六日、資本金一〇〇〇香港ドルで設立され、同月二四日登録済のもの。)をこれに利用することとした。

(5) 次いで、クラッターは、昭和五〇年七月二九日ころ、福田を伴い児玉宅に赴き、被告人及び児玉に対し、香港所在の休眠会社たるブラウンリー社が見つかったので同社を買収することとし、従前のロッキード社と児玉間のコンサルタント契約を解約して、新たに同社とブラウンリー社間に同様の契約を締結することにより、これを同社に引継がせ、以後ロッキード社は、同契約に基づいてブラウンリー社にコンサルタント報酬等を小切手で支払うこととなるが、同社において香港ディーク社の口座を利用するなどして、児玉には従来どおり日本円の現金が支払われる旨説明し、同人もこれを了承した。

(6) その際、ブラウンリー社買収すなわち同社株式の買受を誰の名義で行なうかについても協議したところ、児玉自身の名義では、同人の存在が外部に洩れるおそれがあるため、結局被告人及び児玉の使用人である仲憲太郎、高野美代子の三名の名義を使用することとなり、被告人は児玉の依頼に応じて自己の名義を使用させることを承諾するとともに、他二名にも問合せたうえで、右三名の住所、氏名、生年月日を福田を介してクラッターに伝え、同時にクラッターからのブラウンリー社買収関係費用の請求に応じて児玉において、クラッターの申出にかかる所要見込額たる約四〇〇万円の日本円現金を同人に前渡しした。

(7) その後、同年八月初めころ、クラッターは右金員を携帯して香港に赴き、香港・上海銀行に同金員を入金してブラウンリー社取得関係費用支払のための当座預金口座を開設するとともに、前記ジョンソン事務所の関係者らに買受名義人となる被告人ら三名の氏名等を伝えたうえでブラウンリー社の取得方につき種々協議した。その結果、同事務所において同年九月上旬ころには、同社の定款を変更してその営業目的にコンサルタント業務を付加し、その資本金を三〇〇〇香港ドルに増資する等の手続を整えたうえ、同月中旬ころ、被告人ら三名がブラウンリー社の全株式を原始株主たるグレグソン社外二社から譲り受け、更に同株券を右三社に香港で保管させ(名義株主契約書)、同社の経営も香港所在の法人に委託する(被指名経営者契約書)旨の各種契約書等を作成し、クラッターに送付した。

(8) クラッターは、右契約書類及びブラウンリー社関係の定款、株券等を持参して、同年一〇月三〇日ころ、福田とともに児玉宅を訪れ、同人及び被告人の両名に右書類等を示すとともに、前記名義株主契約書(符210ないし212)及び被指名経営者契約書(符213ないし215)の所要欄に関係者の署名等を求めた。児玉においてその場で各契約書の保証人欄に自らローマ字で署名し、次いで被告人は自己の印鑑を用意したうえで自ら該当受益者ないし本人欄にローマ字で署名し、押印するとともに、仲に無断で同人の署名を代行し、高野には事情を打ち明けないで署名させるなどした後、右関係書類一式を福田に渡した。

(9) 福田から所要欄に署名済の前記契約書類を受領したクラッターは、同年一一月七日、右契約書類をジョンソン事務所のベイリー宛に送付し、これを受領したベイリーにおいて各被指名経営者契約書に被指名経営者任命の日付として同年九月一〇日と記入し、ここにブラウンリー社設立及び買収に関する一切の手続が完了した。

2  しかるところ、弁護人は、そもそもブラウンリー社の株式買受契約については、内容はもとより、その成立を認めるに足る証拠も存しないとして、契約自体の存在を争う(児玉譽士夫外一名に対する外国為替及び外国貿易管理法違反等被告事件弁論要旨394頁以下)。

(一) しかしながら、前示の如き同社株式購入の経緯から明らかなとおり、本件ブラウンリー社買収に関する諸手続の交渉及び実施は、専ら同社の実質上の所有者であったジョンソン事務所関係者と児玉から一任を受けたクラッターとの間でなされたものと認められるところ、同人は、嘱託証人尋問調書(以下「」という。)において、右買受契約の存在を当然の前提として、再三児玉がブラウンリー社を買い入れたものである(クラッターは、ブラウンリー社の所有者に、児玉から預った金員中から、同社購入費を支払ったと明言している。)旨証言しているのみならず、関係証拠を仔細に検討吟味するに、

もとブラウンリー社の株式三〇〇〇株は、ジョンソン事務所の管理に係るサービス会社グレグソン・リミテッド外二社に各一〇〇〇株ずつ割当てられ、右三社が原始株主としてこれを保有していたこと、

右三社からそれぞれ被告人外二名に各一〇〇〇株ずつ譲渡する旨の株式譲渡文書が作成されたこと(弁護人は、かかる文書の存在自体を争うも、クラッターにおいて同文書を同封した旨のベイリー発の書面(符206)を、その同封書類とともに受領したことを認め、かつ自ら右文書を同年一〇月三〇日被告人に交付した旨記録していること、及びジョンソン事務所からの借方記入通知票(符226)中に同文書認証にかかる費用が計上されているのに対し、何ら異議を止めず支払をなしていること等に照らし、同文書の存在は優にこれを肯認し得る。)、

かくして被告人外二名に譲渡された株式の株券を、前記グレグソン・リミテッド外二社が、所有者たる右三名のため名義株主として各々一〇〇〇株ずつ保管する旨の契約書(符210ないし212)が作成されていること

が認められ、以上の事情を総合すれば、被告人外二名の買主名義でブラウンリー社株式三〇〇〇株の買受契約が締結されたと認めるに十分である。所論は、株式買受契約書が証拠として顕出されてないことを以て、直ちにその契約自体の存在を否定しようとするものであり、説示の如く、同契約成立前後の経緯、状況に鑑み、とりわけ同契約が成立したことを基礎とするその後の諸般の手続が履践されている事情を無視するものと言わねばならず、採用の限りでない。

(二) ちなみに、弁護人は、右株式買受契約の当事者、成立日時、買受代金等が分明でないとも主張している(前同弁論要旨397頁以下)ところ、本件は外国為替及び外国貿易管理法(昭和五四年法律第六五号による改正前のもの。以下「外為法」という。)第三二条第一項所定の「外国にある証券の売買」に該るものであるか否かが問題なのであって、同法は単に「売買」と規定するのみで、その数量、形式等を限定していないのであるから、特定の外国にある証券の購入行為と認められる限り、それ以上に買受契約の内容の詳細を明確にする必要は右外為法との関連では、本来存しないものである。そして、前示のとおり本件においては被告人外二名が各々グレグソン・リミテッド外二社からブラウンリー社株式一〇〇〇株を有償で買受ける旨の契約が締結、実行されたものと認められ、当事者、売買の目的物及びそれが有償譲渡すなわち売買であることが明らかである以上、前記外為法条との関連では、これで十分である。

しかしながら、念のため所論に鑑み以下検討する。

① 先ず成立日時については、関係証拠によれば、ブラウンリー社の株式資本が三〇〇〇株(三〇〇〇香港ドル)に増資され、かつ原始株主たるグレグソン・リミテッド外二社に割当てられた日時が昭和五〇年九月一〇日と認められることよりすれば、前記株式買受契約の成立日時は少なくとも同日以降であると推認できるうえ、クラッターが被告人及び児玉と右日時以降最初に面談したのは同年一〇月三〇日ころであり、しかもその際クラッターからブラウンリー社買受関係書類が提示され、更にベイリーの要請に即して、買受の次の段階たる名義株主契約書の作成(署名等)がなされていること等諸般の事情に鑑みると、クラッターが同日ころ、実質的な前所有者たるジョンソン事務所のベイリーらの意を受けて児玉及び被告人の両名にブラウンリー社株式買受方を申入れ(クラッターは、これより先同年七月末の時点では、ブラウンリー社を買い入れることとする旨右両名に申し出、その了承を受けているに過ぎない。)、右両名においてもその趣旨を了解し、かくてそのころ買受契約が確定的に成立したものと認めるのが相当である。

② 次に買受代金額についてみるに、前示のとおり売買であることが明らかな以上、正確な代金額まで確定することは必要ないものと解されるところ、児玉より買受価格の決定、支払も含めた関係手続の処理一切を委任され、相手方との交渉にあたったクラッターにおいて、ブラウンリー社買収の件で同社の実質的所有者であるジョンソン事務所以外に支払をしたことはなく、その買収費用は株式代金を含めて同事務所からの請求書により請求、支払われた、同社の購入価格はごく名目的なものに過ぎず、当初の見込額と大体一致していた、五〇〇〇香港ドル程度であったと思う旨証言しているところ、同社の株式資本金総額は一株一香港ドルの株式三〇〇〇株による三〇〇〇香港ドルであること、ジョンソン事務所との打合せの結果をメモした同人のメモ(符203)に会社の取得費用として三〇〇〇香港ドル(その余の関係費用を含めると五〇〇〇香港ドル)と記載されていること、ジョンソン事務所からの請求書である借方記入通知票(符224ないし226)の内容、額が右に概ね合致すること及びブラウンリー社は設立登録後、何ら営業活動をなすことなく、ジョンソン事務所の手元に留保されてきた休眠会社であって特別な資産等を有するものではないこと等の諸事情を総合すれば、同社株式三〇〇〇株の買受代金額は概ね五〇〇〇香港ドル(邦貨約三〇万円相当)程度と認めるのが相当である。なお、児玉において同社買収関係費用として約四〇〇万円をクラッターに手交している点は、それが同年七月末の段階でのクラッターの見積(当然不足することをおそれてやや多めに請求したものと考えられる。)に応じて交付されたものに過ぎないうえ、株式買受自体の価格のみならずその前後の諸費用、特にその後の保管、経営に至るまでの全ての経費を含むものであること等に鑑み、何ら右認定を左右するものでない。

(三) 次に弁護人は、ブラウンリー社の株式三〇〇〇株の株券の発行の有無を争う(前同弁論要旨401頁以下)。しかしながら前示のとおり、同株券が実際に発行された後に初めて必要となる、同株券保管に関する契約が締結されていること、同契約書の中で各名義株主に引渡されたとされる証券の内容まで各々特定されていること、及び被告人において昭和五〇年一〇月末ころクラッターが香港の会社の書類を持参した際株券も見せてもらったと思う旨自認していることに照らせば、その理由がないことは明らかである。弁護人はクラッター宛送付書類中にブラウンリー社の株券が含まれていないこと(符206)を援用するが、ベイリーからクラッター宛の送付書は他にも存在する(例えば符216)うえ、同人が直接香港で入手した可能性も存するのであるから、右書簡の記載を以て直ちにクラッターがブラウンリー社の株券を所持していなかったとすることはできないし、何よりも前記一〇月末ころの会談の席上、クラッターが児玉及び被告人の両名に対し、ブラウンリー社以外の会社の株券を見せても全く意味がなく、その必要もないうえ、仮に右両名にその旨看破された場合却ってその理由を追及される危険性も十分考えられること等に鑑みると、クラッターにおいて提示した株券は、まさにブラウンリー社の株券であったと認めるのが相当である。

3  更に弁護人は、児玉らは単にクラッターらの要請に応じて名義を提供したに過ぎず、実質的にブラウンリー社株式の買受をして、同株式を取得したものではなく、またその株券の保管委託をしたこともない旨主張する(前同弁論要旨404頁以下。)。

(一) よって検討するに、先ず外為法は「外国にある証券について売買(中略)してはならない。」と規定するのみであって、その文言及び外国にある証券の取引を資本移動の手段として捉えて規制する法の趣旨更に現行改正法が「証券の取得」(第二〇条第五号)と規定していることの対比等からして、本件において、被告人らが右規制の対象たる外国にある証券を売買したと認めるために、その証券の占有を現実に取得したことまで要するものではないことは明らかであり、この理は、証券の現実の引渡を要しない点で証券の保管委託についても同断である。

従って、本件各外為法違反の成立を認めるには、被告人らにおいて自ら実質的に株式買受及び証券保管委託の当事者となったことを認めれば足りるものである。

(二) そこで、先ず株式買受について検討するに、関係証拠によれば、

ブラウンリー社の買収は、ロッキード社側からのコンサルタント報酬等の支払方法の変更申出に対し、児玉において従前どおり日本円の現金による支払の受領を固執したために、同人の利益を図る目的を以て行なわれたものであり、ロッキード社側としては、日本国内における同人管理下の法人に対する支払でも別段差支えないところ、米ドル小切手による支払を日本円の現金に換金する手続及びコンサルタントとしての児玉の存在の秘密維持のため国外における法人の入手が必要となったものであること、

右法人はあくまで児玉の代替的地位に止まり、実質的にロッキード社から児玉に対する支払の受領機関に過ぎず、同人の支配下におかれるものであったこと(被告人の検察官に対する供述調書(以下「」という。)(乙59)により認められる児玉の、クラッターを俺が買う香港の会社に入れてやる旨の発言は、まさにその旨の同人の認識を示すものであり、弁護人はこれにつき単なる雑談であると主張するが、わざわざ福田にその旨通訳させたところクラッターが謝意を表するなど、同人の右発言に誰も異を挾まなかった当時の状況に照せば、むしろ関係者が皆同様の意図、認識を有していたものと認められる。)、

クラッターにおいてブウウンリー社買収に関し、児玉の意を受けて、その手続を開始し、その後も同人から依頼された事務として処理しており、ロッキード社としてブラウンリー社を買収する場合であれば当然なすべき上司への報告、決裁等の正式手続が何らとられていないこと(コーチャンに徴しても、同人は、クラッターを介して児玉に対し、小切手による支払の受領機関として会社を設立するように求め、併せてクラッターに対しては、児玉のため、その依頼に応じて会社を準備する手配に協力してやるように指示し、その後クラッターからブラウンリー社取得方の報告を受けているに過ぎず、コーチャンも児玉の会社と認識していたものと認められる。)、

ブラウンリー社買収費用は、児玉において負担していること(弁護人は、クラッターが小切手で支払い、その領収証等がロッキード社に保管されていたことを挙げて、買収費用は同社が負担した旨主張する(前同弁論要旨399頁)が、クラッターによれば、ジョンソン事務所に対する買収関係費用の支払は、いずれもクラッターが児玉から受領した金員を入金して開設した銀行口座から支払われたものと認められ、関係書類は同人の委託を受けて同人のため手続処理にあたっていたクラッターが保管していたところ、同人が退社する際にたまたまロッキード社に残置してきたものに過ぎないのであるから理由がない。なおコーチャン第5巻533頁によれば、ロッキード社が会社購入代金を支払った可能性を窺わせる証言もあるが、ロッキード社において支払ったとすれば、当然クラッターらからその旨の報告を受け、承認を求められる立場にあるコーチャンが、わずか一年前の特異な事態にも拘らず、かかる申出を受けた記憶がないとしているうえ、同人は本来児玉が行なうべき事項を同人自身ではできないため、助けてやるようにと指示しているに過ぎないことからすれば、右認定を覆すものではない。)、

クラッター、コーチャンら関係者がいずれも児玉においてブラウンリー社を買い入れたものである旨理解していること(弁護人は、ベイリーの書簡(符209)を引いて、ジョンソン事務所は同社の真実の買受人をロッキード社であると認識していた旨主張する(前同弁論要旨410頁)が、同書簡は所論の如くであればロッキード社宛あるいは少くとも同社内のクラッター宛であるべきところ、住所等に照してもクラッター個人宛のものであり、同人が児玉の一任を受けてジョンソン事務所との折衝にあたっていたことをも併せ考えると、所論は理由がない。)、等の事情が認められ、これに、

所論の如く、ロッキード社が、真実の買受人であり、しかも児玉の名を秘匿したいのであれば、あえて同人の親近者三名の名義提供を求めるものとは到底考えられず、まして自社において一切費用負担をなさず、全て同人に負担させる措置に出るが如きは極めて不自然、不合理であること、

仮に所論の如くであるとすれば、ロッキード社において、手数料の支払に関する証券取引委員会の調査及び会計監査委員会の審査等により、従来の児玉に対するが如き個人への現金支払が不可能となったため、新たに設定した支払基準に適合すべく法人の取得、契約切替が必要となった事情の下で、コーチャン、クラッターらは児玉のコンサルタント報酬の受領の便宜のため、自ら新たに会社を取得、支配し、この実質的にロッキード社の子会社とも目される会社とロッキード社間でコンサルタント契約を結び、支払をする形式を整えたことになる筋合であるが、かくては、新会社との契約締結及び爾後の個別支払に際し、各担当役員、取締役会あるいは社外のものも含めた各種委員会の審査、承認を要することに鑑みれば、児玉のためだけに極めて危険な方策をあえて選んだこととなり、コーチャンらにおいて当時の情勢下においてかような計画を立案、実行したものとは到底考えられず(そうすべき特段の必要は何ら認められない。)、またその形跡も窺われないこと、

等諸般の事情をも総合すれば、本件株式は実質的に児玉において買受けたものと優に認められる。

そして児玉及び被告人の各もこれを認めているものであるところ、弁護人は、これらの供述記載の信用性を争い、名目上児玉が会社を買取った形式にしたものとの趣旨であり、児玉及び被告人には、クラッターの依頼に応じて単に名義を貸したとの認識しかなかった旨主張するが、前示のとおり児玉においてクラッターの申出に応じブラウンリー社の買収費用を交付したものであるうえ、クラッターとの打合せ状況とりわけ名義を貸すだけであれば、同人においてその旨要請するだけで足りるところ、香港で折衝を開始する以前から事情を詳細に説明し、児玉の了承、依頼を受けたうえで買収交渉に入り、その後も進展状況を仔細に報告し、同人の了承を求めている点に鑑みれば、到底児玉及び被告人において名目上児玉が会社を買取る形式をとるに過ぎず、また三名の名義を貸したに過ぎないものと認識していたに止まるものとは考えられない。

なお、弁護人は、児玉側に領収証等関係書類が一切交付されず、また買収後も何の連絡もない旨主張する。しかしながら、前示購入に至る経緯に徴して明らかな如く、児玉はブラウンリー社買収関係の手続処理一切をクラッターに委ねていたのであるから、同人から逐次口頭報告を受けている以上、領収証等の交付がなくても何ら異とするに足りないし、この理は、同人から交付を受けた関係書類を一括して福田に渡しているところなどに照らし、同社買収がそもそも同社をトンネル会社として従前どおりクラッターを介して日本円現金によるコンサルタント報酬の支払を受けることのみを目的とするものであったところからすれば、買収後も同様である。

(三) 次に株券保管委託についてみるに、児玉及び被告人の各によれば、福田を介してクラッターから株券保管委託の趣旨につき説明を受けたうえで、関係契約書に各々自ら署名していることが認められ、現にその名義株主契約書写(符210ないし212)が存在することに徴しても、児玉及び被告人の両名において、真実ブラウンリー社の株券の保管をグレグソン・リミテッド外二社に委託する意図の下に右契約を締結したものと優に認めることができる。

弁護人は、児玉及び被告人においては、福田の簡単な説明を受けただけで、書類の内容もよくわからないまま署名したものである旨主張する(前同弁論要旨406頁以下)。しかしながらおよそ外国に所在する会社の全株式を買取った以上、その後買取った株券の処理をどうするかが直ちに問題になるものと考えられるし、まして被告人及び児玉は従前より度々株式取得の経験があるのであるから、その点についての考慮が当然働くはずである。ことにクラッターから現に株券を示されていることよりすれば、当然その処理方につき協議したものと考えられ、これに前記被告人及び児玉の各(乙43、46、59、60、69)は、福田において直接何ら詳細な供述をなすことなく死亡し、未だクラッターの関係証言(第四ないし第六巻)がなされる前になされたものと認められるにも拘らず、その供述内容が詳細かつ具体的であることに照らしても十分措信できる。加えて各種契約書六通を同時に提示され、かつ署名を求められたのであるから、従来のブラウンリー社買収に関するクラッターとの打合せ状況に照しても、当然各契約書の趣旨、内容につき説明がされたものと考えるのが合理的であること、更に名義株主を利用することは、そもそも児玉からの要求にかかること(クラッター第5巻439頁)等諸般の事情を併せ考えれば、所論は採用し難い。その余の弁護人の主張については、前記株式買受に関する主張と同断であり、いずれも理由がない。

なお、弁護人は、本件各契約成立後、児玉がブラウンリー社株式の真実の所有者としての取扱を一切受けておらず、また、本件発覚後の昭和五一年八月になされたと伝えられている同社とロッキード社間の本件各契約についても、被告人は何ら関与していない旨主張する(前同弁論要旨407頁以下)。しかし、右はいずれも契約成立後の事情であって、これを以て契約成立の状況を直ちに左右するに由ないものであるうえ、現に翌昭和五一年初頭、児玉においてロッキード社からブラウンリー社に支払われた両社間のコンサルタント契約に基づくコンサルタント報酬を受領していること、右契約の解約はいわゆるロッキード事件発覚後の時点においてなされたものであり、当時の各関係者の動向に鑑み、到底正常な事務処理を遂行できるような状況になかったものと認められること等に照らすと、前記認定を覆すものとは認め難い。

4  以上の次第であって、所論はいずれも理由がなく採用することができないものである。

二  判示第二の事実について

1  判示第二の事実につき、弁護人は、被告人が判示日時、場所において前記クラッターから判示金員を受領し、これを児玉の自宅に届けた事実は認めるものの、右は福田の依頼に基づき同人の代理として右金員を受取り、同人の指示どおりに児玉の自宅まで運搬したに過ぎないものであって、右金員の受領につき児玉と共謀した事実はない旨主張する(前同弁論要旨7、368、410ないし413、471頁)。

2  よって検討するに、確かに、被告人は、当公判廷における供述(以下「」という。数字は公判回数を示す。)(44(5659丁(公判記録第二二冊五六五九丁を示す。以下これに倣う。)ないし5678丁)、46(5871丁ないし5874丁))において、昭和五一年一月二九日昼過ぎころ、福田から児玉事務所の被告人に対し電話があり、香港の会社の金が来るので、福田の代りに帝国ホテルへ行き、クラッターからそれを預って児玉のところへ届けて貰いたいとの依頼を受けたのでこれを承諾し、その指示どおりに帝国ホテルのクラッターの居室に赴き、金員が届くのを待って同人から現金約八〇〇〇万円を受取り、直ちにこれを児玉宅に運び、同人に対し、福田に言われてこの金をクラッターから預って来たと説明してこれを交付した旨、また、児玉は、陳述書(弁(一)190)(48、49頁)及び51・8・19(乙49)、51・9・15(乙47)、51・12・11(乙48)付各において、被告人がいきなり自宅にやって来て、福田から、香港の会社から来た金を帝国ホテルで受取って先生に届けて貰いたいとの連絡があったので、帝国ホテルへ行ってクラッターと会い金を受取って来たと挨拶し、現金八〇〇〇万円位を渡してくれた旨、いずれも弁護人の前記主張に沿う供述をなしている。

3  しかしながら、挙示の関係証拠を総合すれば、従来、児玉は、長きに亘るロッキード社との関係を一人で取りしきり、秘書である被告人にすら一切関与させることなく推移したものであり、ようやく被告人をクラッター、福田らとの面談及び金員の授受に立会わせるようになったのは、昭和四九年九月脳梗塞発作により入院した後である同年末ころからであったから、被告人がロッキード社からの金員の授受に同席するようになって日も浅く、その回数も極く僅かであり、まして被告人単独で右授受を行なうような事例はなかったこと、本件支払は、前回の支払から半年もの間隔を経たものであるのみならず、前記のとおり、ロッキード社の社内事情から、従来の支払方法を変更し、同社と児玉との間に香港法人のブラウンリー社を介在させることとして関係者間で前年中より種々工作した後の最初の支払であり、同社経由の新たな支払方法のいわばテスト・ケースであったこと、従前の支払方法は、略々一貫してクラッター、福田らが児玉宅に金員を持参して直接同人に手交するというものであり、かつ、ブラウンリー社を介在させることとなっても、その授受方法に変更はない旨かねてクラッターより説明されていたにもかかわらず、本件支払は、一転してホテルに滞在するクラッターのもとへ被告人において受領に赴くという特異な授受方法によるべきものとされたこと等の事実が認められ、児玉・福田間及び被告人・福田間の親疎の程度並びに児玉・被告人間の地位、立場の関係を併せ勘案すれば、右に見たようなおよそ異例ずくめの特異な授受をなすに際して、所論の如くあらかじめ福田から児玉へ何らの事前連絡もなされず、かつ、被告人において児玉へ連絡して、了解あるいは指示を仰ぐことなく直ちに福田の指示のままに金員受領に赴くが如き事態は到底考えられない。蓋し、福田と被告人の間柄はあくまで児玉を基軸として相互に関係するものに過ぎず、従前福田から被告人に対しロッキード社関連事項につき、児玉の関与なくして接触した事例は存しないのみならず、被告人はもとより、福田においても、ロッキード社関係の金員の授受については児玉が自ら掌握し、被告人に一任するが如き状況になかったことは知悉していたのであるから、児玉の病状が相当程度回復し、自らその処理対応に当り得た当時の情勢下において、同人を局外に置き、いきなり福田から被告人に同社関係金員の授受を指示し、これに対して被告人においてもかかる異例の連絡に対し、日常の児玉に対する忠実な態度を一変し、あらかじめ同人の意向を何ら伺うことなくこれに応ずるが如き事態が同時に発生したものとすることは甚だ不自然、不合理だからである。

もっとも、被告人は、この点につき(44、5668、5669丁)において、福田らが、本件発覚に備えて児玉及び被告人の関与を明らかにすべく、後日の証拠作りを画策したのではないかとも弁解している。しかしながら、仮に右のとおりであるとしても、それを以て福田が事前に児玉に連絡をしないことの合理的な理由とはなし得ず、まして被告人から児玉に連絡をしない根拠とはなし得ない。その他被告人において、前示の如き状況にあったにもかかわらず、福田からの指示を実行するに際して、あらかじめ児玉に連絡をとらなかった理由を何ら供述し得ていない。更に所論の如き事態を前提とすれば、まさにいきなり被告人よりブラウンリー社からの金員を届けられたこととなる児玉において、かかる特異な事態の発生に驚き、被告人を問責するなり、福田にその旨問合せる等の言動に及ぶべきものと考えられるところ、関係証拠を仔細に検討しても何らそのような形跡は窺われない。却って児玉はかかる事態を何ら意に介することなく、当然の如く金員を受取り、直ちにその処理方を被告人に指示していることが認められるのであって、かかる児玉の対応ぶりからしても、同人としてはあらかじめ、被告人においてクラッターから現金約八〇〇〇万円を受領していることを十分了解していたものと考えられる(クラッターもあらかじめ近くブラウンリー社に支払がなされる旨児玉に告げたと証言している(第6巻526頁)。)。以上の如き諸般の状況を総合するに、被告人の51・8・13(乙69)、51・8・27(乙59)付各記載の如く、被告人において昭和五一年一月二九日午後一時ころ、児玉に呼ばれて同人宅へ赴き、同人から福田から連絡があったので、これから帝国ホテルへ行き金を受け取ってきてくれと指示され、福田と電話連絡をとったうえで、指示通り帝国ホテルへ赴きクラッターから現金約八〇〇〇万円を受け取って児玉宅へ戻り、同人に渡したものと認めるのが相当である。

なお、被告人は、右の供述記載は取調検事から理詰めの追究をうけた末、相槌を打ったものに過ぎない旨弁解している(46、5872丁、476035、6036丁)が、前掲各の内容をみるに、被告人本人しか知り得ない具体的経緯、状況が記載されていること(右作成当時、クラッターの証言は未だなされていない。)、日時等の点について、当初は、曖昧かつ客観的事実に即しない供述がそのまま記載されていること等に照らし、措信できない。

そうだとすれば、被告人及び児玉において、あらかじめ本件金員の受領につき意思を連絡し、共謀していたことを優に認めることができるものであって、前記所論は理由がなく採用できないものと言わねばならない。

(一部無罪の理由)

一  公訴事実の要旨及び争点

被告人に対する強要被告事件の公訴事実(昭和五一年七月二二日付起訴状記載の公訴事実)の要旨は、

被告人は児玉譽士夫の秘書であるが、殖産住宅相互株式会社の創立以来同社の取締役を歴任していた東郷民安(当時五八年)をして、任期満了とともに退任させ、同社から追放しようと企て、昭和五〇年三月一九日、東京都中央区銀座四丁目二番一五号塚本素山ビル三階三〇六号室児玉事務所において、右東郷に対し、「今日は児玉の代理として話をする。君は殖産住宅の取締役を辞めなさい。相談役には残してやる。」と要求し、東郷がこれを断るや、「左に行くか、右に行くか、今決めなければならん身分だ。君の身柄は児玉に預けろ。すぐ返答しろ。」「児玉に身柄を預けられんというのか。」「それじゃお前の身はどうなってもかまわないのか。」などと語気鋭く申し向けて脅迫し、同人をして被告人の右要求に応じない場合は、その生命、身体などにいかなる危害が加えられるかも知れないと畏怖させ、よって、同月二七日、前同所において、被告人に対し、任期満了とともに退任して再任を求めない旨誓約させ、もって義務なきことを行なわせたものであるというのである。しかるところ、本件の被害者とされる東郷民安(以下、「東郷」という。)は、略々これに合致する供述をしており、その他検察官援用にかかる関係各証拠によれば、一応本件公訴事実を認めるに足るものの如くである。

しかしながら、弁護人は、被告人において、①昭和五〇年三月一九日に、本件公訴事実記載のような言辞を弄して東郷を脅迫し畏怖させたことはない、②同月二七日に、本件公訴事実記載のような誓約をさせたことはない旨主張し(「大刀川恒夫に対する強要被告事件」弁論要旨1頁以下。)、被告人もにおいてこれと同様の弁解をするので、関係証拠に照らし、順次検討することとする。

二  背景となる事情及び被告人と東郷の面談に至る経緯

1  本件公訴事実は、昭和五〇年三月一九日、二七日の両日における被告人と東郷の面談内容をその対象とするものであるところ、右は昭和四八年以来の東郷ないし殖産住宅相互株式会社(以下、「殖産住宅」又は「会社」という。)と被告人ないしその背景にある前記児玉との関係を前提として行なわれたものであるので、先ず本件公訴事実の存否の判断に必要な限度で、右被告人・東郷面談に至る経緯を概観する。

2  すなわち、《証拠省略》を総合勘案すると次の事実が認められる。

(1) 東郷は、昭和二五年七月、殖産住宅設立以来同社代表取締役の地位にあったが、従前から同社首脳部内において、経営方針等につき反東郷派との確執が存在していたところ、折から昭和四七年一〇月同社株式の東京証券取引所第二部市場上場に際して、不当な方法で取得した同社株式一七六万株を売却し多額の譲渡益を得たとの廉で社内の批判を招き、翌四八年に入って反東郷派から退陣勧告を受けるに至った。

(2) しかるところ、東郷は、殖産住宅の指定建設業者である戸栗亨より同人所有の同社株式一七一万株売却にかかる東郷側の契約条件履行督促方の依頼を受けた児玉から突如呼出を受けて同年三月二〇日、赤坂の料亭「千代新」で児玉と面談し、右売買の状況及び殖産住宅の社内事情等につき縷々説明した結果同人の理解を得るところとなり、その後数回東京都中央区銀座四丁目二番一五号塚本素山ビル三階所在の児玉事務所を訪れるなどして、同年五月の株式上場後初の殖産住宅株主総会においても児玉の支援を受けることとなった。なお、この間、同年三月二九日の東郷の第一回児玉事務所訪問の際、被告人は東郷と初めて面識を有するに至った。

(3) 同年五月二八日開催の殖産住宅第二九回定時株主総会は、東郷の議事主宰の下に無事終了し、同人も取締役に選任されたが、社内混乱の責任をとって代表取締役社長の地位を前田克己に譲り、自らは取締役会長に就任した。

(4) ところが、同年六月一三日、東郷は前記(1)の株式売却による譲渡益等の申告洩れを理由とする所得税法違反の容疑で逮捕されたため、引続き勾留中の同月二五日、会長を辞し取締役となった。その後同人は同年七月三日、約二九億円にのぼる所得税を逋脱したとの公訴事実で公訴を提起され、同月一二日保釈により釈放された。この間、東郷を指弾する各種報道等による殖産住宅の信用失墜、同社株式の売却による個人的利得追求という右容疑事実の内容等に照らし、同社内外では東郷の取締役退任をも求める声が日を遂って強まって行った。しかるに同人は、保釈後も前記株式売却は殖産住宅のために行なったことであるなどとして、何ら反省、取締役辞任の意向を示さなかったため、殖産住宅においては、同月一六日取締役会で東郷を除く取締役全員の意見として東郷に対し取締役退任を勧告することを決議し、これを受けて前田社長、西原恭三常務取締役らが東郷にその旨勧告したものの、同人はこれを拒絶するのみであった。

(5) 更に、同年九月には、株主の要求を受けて、殖産住宅から東郷に対し、証券取引法第一八九条に基づく一一億円余の不当利益返還請求訴訟が提起されるなど、同社幹部と東郷との間の対立は深まる一方であり、東郷は、このころ前田らの意を受けた同社大株主たる三井銀行社長小山五郎あるいは国会議員A、Bらからの退任説得にも耳を藉さないばかりか、却って三井不動産(株)社長江戸英雄らに自己の立場を訴え、その支援方を要請する有様であった。

(6) この間、殖産住宅総務部長森田信之は、たまたま被告人と高校の同級生であった同社顧問弁護士Cを介して、被告人と知己を得、同年一一月下旬以降年数回、被告人を料亭に招くなどして親交を結び、折にふれ殖産住宅の実情、同社幹部の意向を伝えて、当時親東郷的な立場にあると目されていた児玉、被告人らの理解を得ようと努めていた。

(7) しかしながら、被告人は、昭和四八年から翌四九年にかけては、未だ東郷の立場に同情を示し、会社側から東郷に対し辞任勧告がなされ、更に同年五月の殖産住宅定時株主総会において、会社側が未だ取締役の任期二年の半ばであるにもかかわらず、東郷を解任する意向である等の風聞を耳にするや、同年二月下旬、殖産住宅本社を訪ね、応対に出た西原専務、吉永謙二取締役、森田総務部長らに対し、同年五月の株主総会における東郷取締役解任の意向の有無を尋ねるとともに、東郷が前記戸栗亨から買受けた同社株式あるいはその資金として三井銀行から借入れた四四億円余の債務の肩代り等を要請するなど、会社側に東郷の処遇について十分配慮するように求めた。

(8) 同年五月開催の殖産住宅定時株主総会においては、東郷の処遇に関する議題は提出されることなく終了し、前田社長ら同社幹部は、社内外の動向、大株主たる三井銀行、三和銀行らの意向等に鑑み、東郷の処遇については、任期途中で取締役解任の挙に出ることなく、翌五〇年五月の任期満了後再任せずに、その自然退任を待つこととし、昭和四九年秋ころには右の方針を確定するに至った。

(9) 他方、被告人は、東郷において、同年四月ころ、あらかじめ被告人の計らいで児玉との面会の約束をとりつけ、児玉事務所に来訪しながら、偶々児玉が先客と面談中であったことから、その辞去を待たず、児玉に無断で帰ってしまい、その後何の挨拶もせず、同年五月ころ、児玉において東郷の前記所得税法違反被告事件のための弁護人として推挙した弁護士を、断わりもなしに解任し、同年九月ころ、同事件の公判において、被告人がかつて児玉の勧めで書生をしていたD代議士及び児玉と親交があるE証券株式会社社長Fが殖産住宅株の操作に深く関与していたかの如き主張をなし、報道機関に大きく取り上げられる結果を招く因をなす等、非礼又は関係者に迷惑を及ぼすと思われる行状を重ねたことから、従前の東郷に対する好意的な認識に変化を来し、同年一二月中旬、前記吉永、森田、Cらと料亭で会食した際には、そのことを話題とするなどしていた。

(10) ところで、東郷は同年秋ころ、前記会社側の取締役任期満了退任の意向を察知するや、何とか取締役として再任されるべく、再任運動を開始し、自ら同社大株主あるいはそれらへ強い影響力を持つ前記小山、江戸、大谷貴義らを歴訪して取締役再任への協力方を働きかけるとともに代表取締役時代から懇意にしていた小林康男にその旨伝えて再任運動への協力を求め、同年末には同人の斡旋で「ホテルオークラ」において倉林公夫、岡村吾一、嶋崎栄治らと会合を持ち、取締役再任運動への協力を求めるとともに、その具体的方策について相談するなどし、翌五〇年一月からはより積極的に再任活動を展開することとなった。

(11) 翌昭和五〇年二月に至り、被告人の先輩格として従前児玉の秘書をしていた倉林の発案で、東郷らは右取締役再任運動について児玉の助力を求めることとし、そのころ先ず倉林において児玉事務所に被告人を訪ね、東郷の窮状を訴えるとともに再任への協力方を要請した。これに対し、被告人は、倉林に対し、東郷の前記(9)の記載の如き言動を話し、非礼に思っている旨述べたものの、倉林の要請もあり、東郷と面談して、その訴えを聞くことを承諾した。

(12) 倉林から、小林を介するなどして右会談の状況を聞いた東郷は、早速面会の約束をとりつけたうえで、昭和五〇年二月二〇日、児玉事務所に被告人を訪ねた。この面談に際しては、先ず東郷において前年四月ころの非礼をわびたうえで、来るべき五月の株主総会において取締役として再任されるように協力してもらいたい旨要請した。しかし、被告人は前記(9)のの如き東郷の言動を指摘し、先ず多大の迷惑をかけた右三者に陳謝してくることが先決であると告げたところ、東郷もこれを了承し、早速右三者に謝罪することを約して、辞去した。

(13) 被告人は、東郷の再訪前に、あらかじめ殖産住宅側の意向を確認しておこうと考え、前記Cを介するなどして会社側の都合を確かめたうえで、同五〇年二月二七日、同社を訪れ、C立会の下に、西原、吉永、森田らと会談した。被告人は前記面談の状況を説明し再任を希望している東郷の意向を伝えたうえで、会社側の姿勢を尋ねたところ、西原から東郷を会社として取締役に再任できないとして種々の事情の説明を受け、任期満了退任は止むを得ないものと了解し、ただ前記四四億円の問題等については会社としてもできるだけ東郷の面倒を見てくれるように依頼するに止まった。

(14) 東郷は、同年三月七日、東京会館内「ユニオンクラブ」において西原と会談し、なお取締役として会社に残りたい旨の希望を伝えた。

(15) 同月一二日、東郷は再び児玉事務所に被告人を訪ね、この間のD、Fらに対する謝罪の経過を説明するとともに、殖産住宅の業績表を示し、東郷が取締役として活動することが同社のために必要である旨を強調した。

以上の事実を認めることができる。

3  かくて、右の如き経緯及び被告人・東郷・殖産住宅間の相互関係を背景として本件被告人・東郷面談が行われるに至るのであるが、この点については、節を改めて検討する。なお、右認定に反する東郷のの信用性等についても、これと併せて判断を示すこととする。

三  本件被害状況に関する東郷の供述

1  本件東郷の取締役再任問題に関する被告人・東郷間の面談は、昭和五〇年二月二〇日以降、翌三月一二日、一九日、二四日、二七日の五回を数える(但し、被告人は、第一回公判期日における意見陳述に際しては、捜査段階の供述と同様に、三月二七日の面談の事実自体は認めていたものの、その後これを翻し、において三月二七日には東郷と面談していない旨主張している。)ものとされ、本件公訴事実は、このうち三月一九日及び同月二七日における面談の内容につき被告人の言動が強要にあたるものとするのである。ところで、これらはいずれも児玉事務所内の一室で余人を交えず行なわれたものであるため、その内容、状況を直接明らかに証しうるものとしては、本件全立証中、当事者たる被告人及び東郷の各供述に俟つしかない。しかるところ被告人は及びにおいて本件公訴事実につき種々否認・弁解を繰返しているのであって、結局本件公訴事実を直接証するに足る証拠としては東郷のを挙げ得るに止まる。そこで先ず本件被告人・東郷面談に関する東郷について仔細に検討、吟味することとする。

2  東郷はにおいて、前記昭和五〇年二月二〇日から三月二七日に至る間の経緯、状況につき概ね次のように証言している。

(1) (昭和五〇年二月二〇日の被告人との面談について)

昭和四九年春ころ、児玉事務所に児玉を尋ねた際、折から用談中であった同人の都合がつくのを待たずに、同人に会わないままに帰った行動につき、児玉が非礼であるとして大変怒っているということを昭和五〇年二月ころ聞いたので、早速当時の実情を説明し、怒りを解いてもらうために、当時病床にふせり、殆ど事務所へ出ていなかった児玉に代って被告人を訪ね、謝罪したところ、被告人の方から、「聞くところによると取締役として残って会社の仕事をやりたいと運動をしているそうだが、あんたは、大変な不義理をしているのに会社で仕事をしたいといってもだめだ。G弁護士、D代議士、E証券の三者に非常な不義理をして大変な迷惑をかけているのだから、これらに十分陳謝をしてこなければいくら会社で仕事をしたいと言っても、とんでもない話だ」と言われた。そこで自分としては、右三者に陳謝をしてくれば、被告人はじめ児玉も自分の非礼を許し、取締役再任に協力して貰えるものと考え、早速右三者に謝罪すべく行動を開始した。

(2) (昭和五〇年三月一二日の被告人との面談について)

前回面談の際、被告人から指示された三者に対する陳謝状況の中間報告として、G弁護士に対してのみ謝罪を果たしたこと、他二者については連絡をとっているがなかなか会えないことを報告すると、被告人からD代議士に対しては陳謝の趣旨を手紙で伝えるように示唆を受けた。その際、前回に被告人から殖産住宅の現状について尋ねられていたので、同社の業績表を持参して業績低下を指摘し、自ら取締役として実務指揮をとりたい旨の希望を強調した。

(3) (昭和五〇年三月一九日の被告人との面談について)

前日被告人から電話で要請され、午後四時ころ塚本素山ビル三階三〇六号室児玉事務所を訪れ、奥の児玉執務室で面談した。最初に被告人からD代議士からの返書がもう届くはずである旨告げられた後、「今日は児玉の代理として話をするのでそのつもりで聞いているように」と前置きして、「君は取締役を辞めなさい。相談役として月一五〇万出すように会社と話をしており、相談役にはしておいてあげる」と言われた。自分としてはあまりにも唐突な話にびっくりして、自分自体の立場もあるので、急に辞めろと言われても返事はできないと一応断わると、更に「今返事ができないといっても、あんたは火事場の中にいるのと同じだ。右に行くか左に行くか、今決心しなければそのまま火事場にまき込れるというのと同じ立場だ。だから今決心すべき時だ。すぐ返事をすべきではないか」と言われた。これに対し、自分は、会社のために精一杯やってきたことが現状の如き事態となったもので、更に取締役として止まり、会社のために尽力することにより各種問題の解決もできると思うし、その他会社のために戸栗亨から買受けた一七一万株あるいはそれに伴う四四億円の東郷名義による借入の肩代り問題が未解決であること等自分自身の現在の立場を縷々説明して、今おかれている立場から右か左か決めろと言われてもすぐわかりましたと返事はどうしてもできかねる、自分の立場があり、これらの問題が解決しない限り取締役をおりることは請けられないのでご了解願いたいと述べた。これに対し、被告人から、「それじゃ児玉先生に身柄を預けろ。そしてすべて児玉先生にあなたの身は任せなさい」と言われたが、自分の立場としてどうしてもやらなければならないこともあるので、今身柄を預けるというようなことはいたしかねる、いろいろ話を伺ったが唐突な話で、自分としてもまだもろもろのことがあるので、どうしても今日はお返事できない、また必ず伺うので今日はもう帰して下さいとお願いした。そうすると、被告人から「身柄を預けることはできないんだな、今返事ができないとか、そんなことだったらお前の身がどういうふうになるかも知らないぞ」と言われたが、そういうことまでおっしゃらず、また参りますのでよろしくお願いしますと言って、児玉事務所を辞去した。この日の面談は一時間以上になったと思う。また被告人は「殖産住宅の西原専務と話したところ、同社では東郷は取締役として必要ないとの話を聞いた」とも言っていた。他方、被告人に対し、自分の立場を縷々説明し、取締役を辞める意思のないことを強調したところ、被告人において四四億円の債務肩代り問題等については会社の方に取り次いでみるとのことであったし、被告人から株式公開の時点から会社の内容が変わっているという話もあった。この間の被告人の口調、態度はいつもと全然違い、ことに自分が被告人の申出を拒絶する返事を繰返すにつれ怒ったような表情、威圧的な強い口調となり、非常に怖ろしく、自分自身ないし家族に危害が及ぶのではないかと感じられ、早くその場から帰りたいという気持で一杯であった。

(4) (東郷と弁護団との協議の状況について)

翌三月二〇日、自己の所得税法違反事件の弁護人である後藤弁護士を尋ね、前日の被告人との面談の内容を詳細に説明し相談したところ、後藤弁護士は、児玉の話だとすると非常に困ったことであるが、東郷自体の立場があるのだから、その点について十分に理解してもらうようにしなければならないと思うとして、現在弁護団がかかえている問題もあるので、十分その点も考慮すべく、弁護団として対応を協議することを決め、同月二二日に全弁護団が集まり自分を交えて協議した結果、被告人の申出を容れ相談役になるとしても、東郷の現在抱えている諸問題を殖産住宅として解決してもらうことがその前提条件であるとして、自分の同社に対する要請事項を自分の申出に従って弁護団が覚書としてまとめ、これを取りかわして取締役辞任の条件として受入れるようにきちんと決めて貰うこととした。右覚書の内容は一〇項目に亘り、その概略は、取締役を辞めて相談役になるが、その任期は終身で、月額一五〇万円を支給すること、適当な時期になれば取締役として復帰することができること、東郷の事件に関連して不遇となった社員及び勤続が長く会社に貢献している社員の処遇改善を会社として十分配慮すること、三和銀行からこれ以上人を入れないこと、戸栗亨から東郷が買入れた一七一万株及びその資金四四億円余の借入金問題を解決すること、東郷が不当な値段で買わされた株の問題を解決すること、現在東郷が所得税法違反に問われている株式売買益は全部会社のものであるから、殖産住宅から東郷に対する不当利益返還請求訴訟を至急取下げること、これらの条件が一つでも充足されない場合は取締役退任、相談役就任の効力は生じないことというものであった。

(5) (昭和五〇年三月二四日の被告人との面談について)

三月二四日午前、後藤弁護士事務所で前記内容の覚書を受け取り、被告人の都合を確めたうえで同日夕方児玉事務所に被告人を訪ね、覚書を手元に持って、その内容を読みあげつつ説明し、是非この条件を承認願いたいと頼んだところ、被告人からは、「大変難しい問題であり、児玉事務所は法律事務所ではないんだから、そのような弁護人が作ったものは通用しない。そのような難しい条件は聞けない。話は聞くだけは聞いとくが、とにかくあんたは取締役をやめて相談役になるんだ」という話で取りつくシマもなかった。そこで十分考えておっしゃるとおりにいたすようにいたしますが、もう一日二日はっきりした返事は待っていただきたい、改めてご挨拶に上りますと言って児玉事務所を辞去した。

(6) (昭和五〇年三月二七日の被告人との面談について)

前記面談の翌二五日、後藤弁護士を訪ねて、その結果を報告したうえで、現在においてははっきりと被告人のいうとおりにしなければならないという返事をしなければならないと思う旨話をしたところ、同弁護士からも、君がその気持になるならやむを得ないだろうということであったので、三月二七日、被告人の都合を確めて児玉事務所に訪れ、被告人に対し、おっしゃるとおりに取締役をやめて相談役になります、おっしゃるとおりに株主総会にも出ません、被告人の方にお任せして、全部おっしゃるとおりにしますとはっきりと返事をし、ここにおいて取締役の再任を求める意思を放棄し、以後再任運動もしていない。

概略右の如く証言する。

四  右東郷供述の信用性

1  しかるところ、前掲関係各証拠により認められる当時の客観的情勢、並びに関係者の言動、とりわけ被告人あるいは東郷と殖産住宅側の人々との各種連絡、対応状況及び東郷の取締役再任断念を誓約したとされる昭和五〇年三月二七日以降の活動状況に鑑みるとき、前記東郷のはたやすく措信できない点あるいはその評価に十全の配慮を要する点をあまた内包するものと言わざるを得ない。

2  すなわち、先ず二月二〇日の面談の状況について検討するに、東郷は、単に被告人を通じて児玉に謝罪する目的で訪れたところ、いきなり被告人の方から殖産住宅において取締役として留任して仕事をするためには、過去の不義理を解消すべく謝罪してくることが先決であると要求されたもので、自ら取締役再任運動への協力方依頼を申し出たことはない旨証言している。

しかしながら、およそ従前東郷から直接取締役再任実現への支援、協力を求められた訳でもなく、まして殖産住宅側から東郷の取締役再任断念を依頼されたこともないと認められる被告人が、児玉への非礼の謝罪のため来訪し、その旨陳謝しただけの東郷に対し、進んであたかも児玉ないし被告人が再任実現へ協力するための前提条件を整えようとするかの如き内容を申し向ける合理的な理由は全く考えられない。のみならず、前記関係証拠によれば、

① 東郷は、既に前年より取締役再任へ向けて種々画策し、昭和五〇年二月ころに至り、これに協力していた小林康男、倉林公夫らと寄り寄り協議の結果、大株主がいずれも会社の方針を支持しているなど再任実現に関する周囲の情勢が芳しくないため、かかる不利な状況を一挙に挽回する非常手段として児玉の尽力を求めるべく、児玉事務所へ再接触を図ったものであり、二月二〇日の訪問についても、あらかじめ倉林において、被告人へ東郷の話を聞いてやるよう下工作を整えたうえでの、児玉への謝罪を前提とする取締役再任への協力方要請がその主たる目的であったものと認められるのである。

② 他方、被告人側の事情を見ると、被告人において、後日、殖産住宅本社に赴き、東郷の取締役再任についての会社側の意向を打診するなど、東郷からの協力方要請があったことを前提とする動きを示しており、しかも、その際、二月二〇日の面談時の状況として、同社幹部に対し、東郷から再任できるよう頼んで来た旨の説明まで附加している(被告人において、虚構の説明をしなければならない事情はなんら窺われない。)のであって、これらの諸点よりすれば、少なくとも被告人としては、二月二〇日に東郷から取締役再任活動への協力方を求められたという認識を有し、これに基づいて行動していたものと認めるのが相当である。以上に反する前記東郷証言は措信するに足りないものと言わざるを得ない。

3  次に、三月一九日の面談時の状況について、東郷は、前示の如く、冒頭から被告人に取締役を辞任するよう種々威圧的な口調で申し向けられ、即答を避けるや、更に身体に危害が及ぶが如き威迫を受け、非常に怖ろしかった旨証言しているのに対し、被告人は、、においてこれを否定し、東郷に対し、自ら殖産住宅本社に赴き、会社側の意向を打診したところ、東郷に対する民事、刑事の各訴訟事件が係属中などの事情があるため、取締役再任については拒否の姿勢が強く、その理由とするところももっともと思われるので、その実現は非常に困難であるが、四四億円の債務肩代り問題や取締役退任後の処遇等、その他の問題に関しては、会社側にも話をしており、十分善処して貰うよう努力する旨伝えたところ、これを不服とする東郷の方が激昂し、果ては殖産住宅は自分の創った会社だから潰してもかまわないと放言するに至ったので、被告人において、上場会社の社会的責任を言及してこれをたしなめたうえ、会社として、現時点においては東郷を取締役に再任できないとすることももっともであると、西原専務から聞いた事情を説明し、将来における懸案の問題解決のためにも、この際円満に退任した方が得策である旨、縷々説得に努めた結果、最終的には東郷もこれに納得して略々了承したものであり、この間、興奮した言葉の応酬はあったが脅迫などしていない旨、東郷証言とは全く対立する供述をなしている。

よって案ずるに、右に見る如く、被告人が果して東郷証言に顕われたような文言を同人に申向けたものであるか否かについても争いの存するところであるが、仮に東郷証言のとおりの文言が実際に使われたとしても、右文言中にはそれだけで脅迫に当ると認められるような字句は用いられておらず、後(七(二))に見るように、見ようによっては単なる平和的説得ないし交渉の手段とも解し得るものばかりであるから、強要罪の成否は、もっぱらこれらの文言が申向けられた際の被告人の語気、態度、相手方である東郷のこれに対する対応ぶり、会談の前後における両者の行動その他諸般の状況如何にかかるものと言えるのである。そこでかような観点から東郷証言を検討するに、

東郷は、当日の面談における被告人の威迫的言動に非常な恐しさを感じ、その場の恐さから逃れるため一刻も早く帰りたかった旨証言しているのであるが、他方、

① 本件面談は約一時間に及ぶものと認められるところ、東郷証言にかかる被告人の(脅迫)文言を総合しても、それほどの時間がかかるものとは到底考えられず、この間、東郷自身証言しているように、同人の方から、被告人の申出はては脅迫文言に対し、種々自己の立場を主張し、にわかに受け入れ難い理由を説明するなどしたものと認められ、かような面談の経緯、状況及び東郷の被告人に対する応答態度に鑑みると、前記畏怖した旨の証言とは一見相矛盾すること(もっとも、この点について東郷は、途中から早く逃れたいとの心境になった旨弁解するが、一方において面談の早々から火事場の中にいるのと同じだからすぐ決心しろと大きな声で威圧的に迫られたとしている点、またその後もかれこれ自己の立場を強調して、結局最後まで被告人の申出を拒絶し、自己の主張を貫徹したとしている点及び自分の主張をいくら言っても聞いて貰えそうにないので、早く帰りたい気持が起きたとしている点等に照らし、にわかに受け入れ難い。)、

② 三月一九日面談の直後ころに、被告人から取締役をやめろと言われた旨東郷から打ち明けられたなどとする同人の妻美代子、弁護士後藤信夫及び東郷の側近者である植木信治、鈴木康久、陽眞也並びに被告人との面談内容の説明を受けたとする小林康男らの各証言をみるに、いずれも当時、東郷がにおいて証言する如き被告人の具体的脅迫文言を告げられたり、これを聞知した事跡が窺われないこと(証人大河原増雄のみは、具体的脅迫文言を聞いた旨証言するものの、その内容は東郷証言にもみられない極めて過激、露骨なものであるうえ、同人からその話を聞いた日時等基本的事項につき変遷を繰返すなど到底信用できない。)、

③ 東郷が同人の弁護団と三月一九日面談に関する対応策につき協議の結果、同人の申出の下に作成され、これに基づき東郷が被告人の申出に対する回答として主張すべく次の三月二四日面談に臨んだ覚書の四項ないし一〇項の記載に徴するに、当時の状況の下において到底実現困難な諸条件の履行を要求し、なおかつ、これが一項目でも充足されない場合、被告人の申出は承諾しないとする実質的拒否回答とも言うべき極めて強い姿勢のものであり、しかも現に東郷が三月二四日面談において、これに基づき一方的に自己の要求を被告人に主張していること、

④ 同覚書一項ないし三項によれば、三月一九日面談の際、被告人から取締役退任後は、任期終生の相談役として月額手当一五〇万円を支給し、近い将来情勢によって取締役に復帰するという、当時、会社側において考えていた東郷の処遇に比較し、非常な厚遇が提示されていること(東郷は、この点につき、脅迫文言が専ら強く印象に残ったと証言しているが、覚書とりわけ前三項の内容は、被告人と直接面談した東郷しか窺知できない事項であり、これが覚書中にきちんと記載されていることは、同人において、かかる被告人の申出を冷静に受け止め、理解していたことを示すものである。)、

⑤ 東郷証言及び同人の手帳の記載等によると、同人において三月一九日面談の後も、従前被告人から示唆されたE証券等への謝罪活動を行っている形跡が窺われること、

⑥ 他方、森田信之の、西原恭三の及び森田記帳にかかる一九七五年度業務日誌の三月一九日欄の記載等によれば、被告人が三月一九日面談の直後、森田総務部長及び西原専務取締役にそれぞれ電話し、同日の会談の結果につき、東郷を説得したところ取締役再任をあきらめたようで、あとはその条件だけであると思われる旨連絡したことが明らかであること(検察官は、被告人において東郷を脅迫した結果、同人がほぼ取締役の再任を断念したものと考えて、電話連絡した旨主張しているが、被告人の供述する如き面談の経緯であったならばともかく、東郷証言を前提とする限り、被告人において到底そのような判断を軽々になしうる状況にあったものとは思われず、剰え被告人の申出を拒絶して帰ったという今後の東郷の動向が不確定な段階で、わざわざ森田、西原へ前記の如き連絡をするものとは到底考えられない。)等、三月一九日面談における東郷の応対態度及びその後の両当事者の対応状況に照らすと、東郷の前記とりわけ被告人の脅迫文言に畏怖した旨の証言は直ちに採用することができないものである。

4  最後に三月二七日面談の状況に関する証言について検討するに、東郷は、同日被告人に対しはっきりと被告人の言う通り取締役をやめ、株主総会にも出ない旨返事をしたとするところ、被告人は、、第一回において、同日東郷から取締役をやめて相談役になりますが、従来からの要望は可能な限り実現していただくようお願いすると言われた旨供述していたものの、その後のにおいては、その面談の事実自体を否定している。

よって検討するに、東郷の昭和五〇年度手帳には、三月二七日欄に「児玉事務所10.00A.M.」と記載されており、その記載の外観、状況に照らし、とりわけ後日に追加記入したものとも断じ難いことよりすれば、東郷が三月二七日に児玉事務所を訪れたこと自体は、同人ののいう如くであるかとも考えられる。

しかしながら、面談の内容については、多大の疑問点が存在すると言わざるを得ない。

すなわち、先ず、東郷証言の内容自体、他の四回の面談状況に関するそれと比し、極めて簡略に過ぎ、また相手方たる被告人の言動について全く述べられていないなど具体性に乏しいこと、東郷証言によっても従前被告人からその旨要求された事跡が何ら窺われないにもかかわらず、(被告人の)おっしゃるとおり株主総会にも出ませんと返事したとすること等の疑問点が存するところ、関係証拠により認められる三月二七日以降の次の如き事情、

すなわち、

従前、被告人は、三月一九日、二四日と東郷との面談の都度、その直後に殖産住宅の会社側の人物へその状況を電話連絡していたところ、三月二七日東郷が取締役再任断念を確約したとすれば、会社側の最大の懸案事項が解決したこととなるのであるから、当然以前にもまして同社のしかるべき人物へその旨連絡するはずであるにもかかわらず、そのような形跡が一切存しないこと、

翌二八日、殖産住宅前田社長、西原、矢野次郎両専務取締役が児玉事務所を表敬訪問し、児玉に対し、被告人を介して、東郷の取締役退任問題に関する会社の方針を説明し、その理解を求める旨挨拶した際にも、被告人らから東郷が再任を断念した旨の話はなされていないこと、

同夜料亭「吉川」において、被告人と吉永取締役、森田、Cらが会食し、森田らにおいて同日昼の会社幹部の児玉事務所訪問の状況ないし東郷問題の進展状況につき被告人から情報を得ようとした際にも、東郷が既に再任を断念した旨の話は出ていないこと、

同夜、東京会館「ユニオンクラブ」における東郷、西原会談の席上でも、東郷は取締役を退任しない旨自己の従前の主張を維持し、翌四月一日、この結果を吉永、森田から被告人に報告した際、被告人も東郷は相変らず同じようなことを言っている旨感想を述べたこと、

四月二日、東郷は知人の紹介で住吉連合の大幹部HことI(以下「H」という。)を知り、同月上旬ころより、同人を介して、殖産住宅に対し、谷口勝一あるいは被告人を通ずるなどして、取締役再任の希望を伝え、その旨要求してきたこと(Hは、関係者に東郷の再任を頼んだことはない旨証言しているが、Hを除くその余の関係者が、いずれもHにおいて東郷を取締役として再任して欲しい旨要請してきたと述べ、前掲森田の業務日誌にもその旨の記載が存すること等に鑑み、信用できない。)、

その後Hから東郷の処遇について善処してくれるよう要請を受けた被告人において、同月一〇日ころ、殖産住宅本社へ赴き、矢野、吉永らと会談するなどした結果、退任を前提として退職慰労金の一部一〇〇〇万円を仮払として東郷に支給することとなり、このころより東郷の代理人たるHとの交渉については被告人がこれにあたることとなったこと、

被告人らの奔走の末、同月一七日に至り、ようやく児玉事務所において、H、被告人立会の上、殖産住宅から東郷へ退職慰労金の一部仮払として一〇〇〇万円が渡されたこと、

同月二五日、前記「ユニオンクラブ」において前田、西原が東郷と会談し、取締役再任の推薦をしない旨正式に通告したところ、東郷において、なお株主総会に出席する意向を示していたこと、

五月二八日、殖産住宅定時株主総会には東郷は出席せず、そのまま任期満了退任となり、相談役に就任したこと、

その後も前田ら同社幹部にあっては、前記不当利益返還訴訟等との関連もあり、退職慰労金支払の積極的意思は存しなかったものの、Hあるいは被告人から種々早期支払方の要望が出されるなどした結果、一〇月二〇日に至り、児玉事務所において、退職慰労金残額六〇〇〇万円余が東郷に支払われたこと

は、東郷が三月二七日被告人に対し、その言う通り取締役再任をあきらめ、以後一切その運動をしない旨約束したとする証言と相容れないものである。

蓋し、右認定の経緯に照らせば、

① 三月二七日以降、被告人から殖産住宅の会社側の人物に対し、数次に亘る会談の際にも、東郷の取締役再任断念方の件が何ら報告されておらず(ちなみに、殖産住宅関係者はいずれもその旨連絡を受けたことはなく、知らなかったとしているところ、右は同関係者にとって五月の株主総会に向けた当時の最大関心事であり、かような事項を揃って失念するとは到底考えられない。)、このことは真実東郷がはっきり再任断念方を被告人に告知したのであれば、当然被告人から直ちにその旨殖産住宅側に伝えられるべき事情であったことよりすれば、その事実の存在自体に疑念を抱かしめるものであり、四月一日ころ、吉永らが西原との会談の際、東郷がかれこれ自己の立場を主張して未だに取締役再任を断念していない趣であった旨告げたところ被告人が東郷の意向の急変に驚いた様子を何ら示していないことも、同断である。

② 三月二八日以降も会社役員らに対し、再任断念の意向を示さず、依然として取締役再任の意欲を燃し、却って四月に入ってからはHを介してその旨会社に要請し、ひいて株主総会にも出席する意向を示すが如き東郷の行動態度は、三月二七日の時点ではっきり再任を断念し、以後再任活動も行わないとしたその証言と明らかに矛盾する(東郷のその他諸般の事情に鑑みても、同日一旦断念した取締役再任への意欲を翌三月二八日以降再び復活させたものとは到底認め難い。)。

③ その他四月以降被告人において、Hからの申入れがあったとは言え、退職慰労金の仮払ないし早期支払方あるいは相談役としての処遇改善等につき渋る会社側を説得し、相当程度東郷の要望に沿うべく努めていることなど諸般の事情の存在は、東郷証言にみられる被告人の言動に照らして不自然であり、翻ってその点についての東郷証言の信用性に重大な疑問を投げかけるものだからである。

五  その余の証拠について

その他、前記東郷関係者の各証言等、本件公訴事実の存在を窺わせるに足る証拠は、いずれも東郷の各関係者への申立を前提とするものであり、就中、東郷が被告人の言により取締役を辞めざるを得ないと悩んでいたとする証言については、前示の如く、同人において諸般の情勢に照らし、取締役再任の可能性が極めて乏しいことを認識し、かような不利な状況を一挙に逆転すべく最後の望みをかけた(この間の経緯については、倉林が詳細に証言するところである。)児玉及び被告人から、自己の再任への尽力方を拒絶されたことに基因するものとも考えられる。また、それらの内容自体、前示の如き客観的状況はもとより、東郷証言にみられる同人が取締役再任を断念した時期、経緯と矛盾するか、あるいは東郷が被告人の言動に畏怖していたとするのに、あえて被告人の申出に対する実質的拒否回答とも言うべき諸条件の承認方を強い姿勢で主張させるべく、東郷を一人で再び被告人との面談に赴かせたとする如き不合理なものであることよりすれば、いずれもにわかに措信し難く、これらを以てしても本件公訴事実を認めるに由ないものと言わねばならない。

六  被告人の企図の有無

なお、念のため、被告人において東郷を脅迫し、取締役を断念させることを企てた事実の有無につき判断を示すこととする。

本件全立証によるも、被告人において三月一九日以前にかような意図を自らすすんでもったとする証拠は何ら窺われないところ、検察官は、被告人が二月二七日殖産住宅本社を訪れた際、西原専務らから会社の方針について説明を受け、併せて会社側への協力方を懇請され、これに協力する旨約束したと主張している。

しかしながら検察官援用にかかる関係証拠をみても、西原及び吉永はいずれも二月二七日に、被告人に対し具体的行動はもとより何らかの協力を依頼した訳ではなく、単によろしくお願いする旨挨拶しただけであるとしているのに過ぎず、この点はその他の殖産住宅幹部たる前田、矢野及び森田も同様の供述をしているところであって、関係証拠により認められる当時の会社側役職員の意向としては、同社の既定方針たる東郷の任期満了退任との方針を児玉ないし被告人が妨害することなく、東郷からの再任協力の要請に対しても関係各方面への働きかけあるいは株主総会への介入等によるが如き具体的な協力活動をしないでほしいというものに過ぎない。従って、会社側として児玉ないし被告人に望んでいたことも、会社側の姿勢を理解してもらい、東郷に支援して会社の方針を妨害するが如き行動に出ないでもらいたいというに止まり、それ以上に進んで積極的に東郷をして再任を断念させることまで依頼しようとしたものではないことが認められる。なお大森のみは、二月二七日に被告人が会社に協力する旨約したと供述しているものの、その他の出席者たる西原、吉永、森田はいずれも前示の如くこれを否定しており、却って当日被告人からできるだけ東郷の面倒を見てくれるようにとの要請がなされるなどむしろ東郷よりと窺われる言動が存すること、また、同社役職員の当時の認識が、いずれも前示の程度に止まるものであり、揃って、二月二七日の前後を通じて現に被告人に再任断念方の依頼をしたことはないとしていること等に照らし採用し難い。

そうだとすれば、被告人において、三月一九日当時、殖産住宅側の依頼の下に、東郷をして取締役再任を断念せしめようとの企図を有していたものとは到底認められないことは明らかである。

七  結論

(一)  以上の次第であって、本件公訴事実中、

① 被告人において、三月一九日、東郷に対し脅迫文言を申し向け、以て同人を畏怖せしめたとする点は、東郷が現実に畏怖したと認めるには、これを窺わせる関係証拠がいずれも信用できず、却って同人において爾後これに反する行動をとっている点に鑑み、未だ証明不十分と言わざるを得ないし、

② 三月二七日、東郷において取締役再任断念方を誓約したとする点は、これを外形上窺わせる東郷証言は存在するものの、前示のとおり、到底信用できず、却って、これに反する客観的状況の存在が認められるのであって、他に本件全立証によるもこれを証するに足る証拠は存在せず、

③ 被告人において東郷を脅迫して取締役再任を断念せしめようとしたと認めるに足る証拠もないから、強要未遂に問責するにも由ない

ものである。

(二)  もっとも被告人において、かような意図を有していなかったとしても、仮に現実に脅迫文言を東郷に対して申し向けた場合、脅迫罪の成否が問題となるところ、前示の如き二月二七日の被告人と会社側の面談内容に合せ、関係証拠とりわけ被告人の、東郷の、覚書等の内容を総合勘案して三月一九日面談の際の状況を仔細に検討するに、

先ず被告人において会社側が東郷を再任できない理由が合理的であるとして、その理由とするところを縷々説明したうえ、諸般の情勢に鑑み今回は取締役の地位に固執することなく、会社側の意向に従って再任をあきらめ、相談役となり、会社側と円満な関係を維持することにより、将来取締役として復帰する余地を残し、併せて東郷の要望する四四億円の債務肩代り問題についても、会社側の配慮を要請する方針で対処した方がよいとして、東郷を説得しようと努めたものと認められる(覚書一項ないし三項の記載。ちなみに東郷も被告人の話の初めの方にそういう趣旨のことがあったかもしれないと暗にこの間の経緯を認めている。しかるところ東郷は、その及び同人の意向を記載した覚書四項ないし一〇項の記載からも窺えるように、専ら自己の立場、未解決の問題の処理等を強調するのみで、頑迷に自己の主張を繰返すばかりであったところから、被告人は客観的状況に照らして、好意的な取計いを申し出たつもりであったにもかかわらず、周囲の情勢からみても到底実現不可能な主張に終始する東郷の態度に業を煮やし、そのような従前からの主張を繰返す東郷に対し、会社側が総会対策に腐心している現段階において自ら身を引く姿勢を示すことが取締役退任後の処遇を含めて将来のために得策であるとして、いつまでも自己の立場に固執せず、すぐ決心するよう促すべく東郷証言の如き趣旨の言辞を弄したものとみるのが相当である。

そうだとすれば、被告人の東郷に対する文言は脅迫とみるべきものではなく、同人との折衝の過程における説得の手段としての言葉とみることができよう。すなわち、検察官において具体的な脅迫文言として取り上げている言辞をみても、「身柄を任せなさい」という点は、既に会社側とも会談し、東郷の処遇について配慮方を申し入れている被告人に、以後会社側との仲介役として東郷の進退及びその処遇、条件に関する交渉を一任せよとの趣旨であり、「今返事ができないと、お前の身がどういうふうになるかもしれない」という点は、前示の如く、会社側が株主総会を目前にひかえて東郷の動向に不安感を抱いている現時点において、自ら再任断念の意を表明すれば、それだけその他の問題の交渉につき有利な地位を占められるが、なお依然として自己の主張に固執し、あくまで再任運動を展開するときは、会社との関係が決定的に破局し、債務肩代り問題の解決あるいは将来の取締役復帰の可能性の維持はもとより、相談役への就任すら危くなることを示唆し、早急な決断を促したものと解されるのであり、やや表現に妥当性を欠いたとは言え(この点、被告人自らにおいて多少興奮したやりとりをしたかもしれないと自認している。)、かような言葉のやりとりは、東郷において被告人の申出をうけいれられないとして、縷々自己の立場を主張している状況の中ではこれを全体的に判断したとき、説得の手段としてなされたものとして、直ちに脅迫文言にあたるものとは評価し得ないものである。このことは、東郷自らにおいて、四四億円肩代り問題の解決を要求したところ、被告人から、一存では返事できないが、会社の方にその旨取り次いでみると言われたとし、更に被告人がにおいて説得のため申述べたとする上場以後、会社の内容が変わっているとの話をも告げられたとしていること、三月一九日以後の東郷の被告人に対する対応が脅迫文言に畏怖し、当日あるいは少なくとも次の三月二四日面談において、その申出を受諾するというのでなく、却って自己の主張の貫徹を退任の前提条件とするが如き通常の取引折衝における交渉状況と同様の態度で臨んでいること、その他前示の諸事情に照らし、十分肯認しうるのである。

果して然らば、被告人が東郷を脅迫したとする点についても、それは通常の交渉の過程における平和的説得の範囲に止まるものであって、未だその立証が尽くされていないものと言わざるを得ない。

(三)  よって、本件公訴事実は、未だその証明が十分でなく、被告人に対し刑事訴訟法第三三六条により、無罪の言渡をすることとする。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示各所為はいずれも昭和五四年法律第六五号の施行前にした行為であるから、同法附則第八条の規定により、同法による改正前の外国為替及び外国貿易管理法を適用すべく、判示各所為中、

判示第一の一(外国にある証券の売買)の各点については、各同法第七〇条第一二号、第三二条第一項に、

同第一の二(証券の保管に関する取極の当事者となる行為)の各点については、各同法第七一条第二号、第三三条に、

同第二(非居住者のためにする居住者に対する支払の受領)の点については、同法第七〇条第七号、第二七条第一項第三号に、かつ、

以上の各所為につき各刑法第六〇条に

それぞれ該当するところ、各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により刑及び犯情最も重いと認める判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役四月に処し、本件各犯行の罪質、動機、態様、共犯内部における被告人の地位その他諸般の事情を考慮し、同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により訴訟費用は被告人に負担させないこととし、公訴事実中強要の点については、前示のとおり、犯罪の証明がないから、同法第三三六条に則り、被告人を無罪とする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 松澤智 裁判官 井上弘通 裁判長裁判官半谷恭一は転補につき署名押印できない。裁判官 松澤智)

〈以下省略〉

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